August 2011
Aug30
■他では見られない連接構造、かつての喫茶室。小田急ロマンスカーは文字通りの看板列車にして、伝統と伝説に彩られた一族です。その中でも現在のスタイルを確立した形式の一人、3000形SE車・SSE車姉さんを描きました。
軽量・低重心構造に曲線区間でも高速運転できるよう連接構造を採用するなどそれまでとは全く違う斬新な姿で登場し、当時の狭軌(線路幅が欧米標準1435mmより狭い幅のこと)部門の速度世界新記録145km/hを東海道線でのテスト走行で達成。
また、それらの優秀さから鉄道友の会「ブルーリボン賞」を初めて贈られるなどの伝説を残しました。
のちに御殿場線直通列車「あさぎり」を担当するべく8両から5両へ短縮され、20000形RSE車と371系にあさぎり運用を托すまで活躍しました。
■顔立ちはモダンでどこか優しげ。当時はかなり未来的な車両だったのではと思います。
そして、高速化を追い求めたその姿からちょっとスピード狂で、でも暖かい。そんな人を想像しています。
彼女の登場当時に掲げられていた新宿~箱根間60分運転は3100形NSE車でも意識されましたが、その後は沿線人口の増加からスピードアップどころでなく通勤輸送主体へと変化。60分の目標は今でも達成できぬままでいます。きっと後年は満足にスピードを出せない状況がやや不満だったんじゃないかな・・・w
■ちなみに、いつかここでお話しした『人に広く印象付けるCMソング』作者三木鶏郎氏の記事で紹介した「小田急ピポーの電車」のピポーの電車はSE姉さん自身、そして歌詞の中の「ピポー」とは、SE姉さんから初採用され、当時鳴らしっぱなしで走っていたという補助警笛を指しています。
■小田急が持つ唯一の鉄道博物館「小田急バーチャル鉄道博物館」というサイトがあります。
「車両展示室」コーナーで現役車・引退車の一部が精巧なCGで眺められる他、現役車は開業当時の、引退車は逆に現在の風景を走行する動画が用意され、SE姉さんは複々線となった現在の狛江付近を走行して行く姿が用意されています。
姉さんが引退した頃の狛江付近はもちろん地上複線時代、しかもSSE車となっているのでこの動画は本来あり得ない動画なのですが、違和感はまったくなく、それどころか本当に走ってきてもおかしくないくらい自然に溶け込んでいます。
つまり、姉さんが築いた伝統が今でもしっかり生きている証なんじゃないかなと思うんです。
塗装もほぼ受け継がれているし、違和感無いのも当然かもしれないのですが、今の風景に混ぜても自然に溶け込むということは、姉さんの築いた伝統が今も変わらず受け継がれてるからなのではないかなーと。
現役組の走る姿と重ねながら展示室の走行動画を見ると、姉さんに始まり今に生きる伝統が垣間見れるはずです。
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